オトメイトスタッフブログ

花朧 ~戦国伝乱奇~ 日録第四話 ~姉川の戦い~

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時は元亀元年(1570年)6月。
場所は浅井氏が治めし北近江の地・姉川。
この日、川を挟むように向かい合うは
【織田信長・徳川家康】率いる連合軍およそ二万九千。
そして【浅井長政・朝倉景健】率いる連合軍およそ一万八千。

明朝に始まった戦いは、姉川を血で真っ赤に染め上げた無数の躯と共に
浅井・朝倉軍の敗北という形で幕を下ろすこととなる――。

オトメイトスタッフブログをご覧の皆様、こんにちは。
『花朧 ~戦国伝乱奇~』のディレクターをさせて頂いております、
アイディアファクトリーの希崎です。

本日は、前回告知させて頂きましたとおり
【歴史】を交えて花朧の世界をお届けしていきます。

今回はちょっと長くなりますので
お時間のある時に読んで頂けるといいかも......!?

それでは参りましょう。
『花朧 ~戦国伝乱奇~ 日録第四話 ~姉川の戦い~』
はじまり、はじまり~。

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■雑誌掲載
7月9日発売の『電撃Girl'sStyle』8月号にて、
【花朧 ~戦国伝乱奇~】の記事が掲載されます。
前回の通常版パッケージに続きまして、『限定版パッケージ』
早くもお披露目となります。

『限定版』ということもあり、描かれた武将は総勢10名!
原画絵師・あしか望氏が描く細かな表情の違いにも
ぜひ注目して頂きたい壮大な一枚となっております。
ぜひご覧ください。

また、今回いよいよあの武将達が初お披露目となります。
花朧の物語には欠かすことの出来ない重要な武将達です。
声を吹き込んでくださった演者様の発表と合わせて、お楽しみに!

■公式Twitter
公式サイトの更新情報や、世界観、人物紹介もさせて頂いておりますので
ぜひご覧くださいませ。

↓以下の画像をクリックで公式Twitterへ移動できます。
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■公式サイト
先日武将が新たに公開されました。
【脇役】と括られておりますが、
シナリオではとてもいい動きをしてくれていますので、
お見逃しなく......!

↓以下の画像をクリックで公式サイトへ移動できます。
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冒頭で触れました『姉川の戦い』は、
元亀元年(1570年)6月28日に起きたといわれています。

花朧の公式ツイッターでも昨日『今日は何の日?』と題して
姉川の戦いに触れさせて頂きました。

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『姉川の戦い』は期間こそ1日で決着が付いたといわれていますが、
その戦いはとても壮絶だったといわれています。

そもそもこの戦いが起きる前に、『越前国・金ヶ崎(かねがさき)』にて
織田と浅井の同盟が反故になる出来事が起こりました。

花朧でも、浅井と織田は同盟を締結します。
その同盟には浅井と親しい関係にある『朝倉家』を勝手に攻めないと
いう約束もあったのですが、史実ではこの金ヶ崎で
織田軍は朝倉家の領土・越前へと兵を動かしました。

そこで、選択を迫られたのが当時の浅井家当主・浅井長政。

『織田』か『朝倉』か。

そして、長政は『朝倉』方につき、
手筒山城・金ヶ崎城を落とす織田軍を背後から挟撃(きょうげき)。

優勢だった流れは、浅井氏の選択によって
織田軍を窮地に追い詰めました。
そして、信長は殿(しんがり)に木下秀吉・明智光秀を据え
京を経由し、命からがらこの危機を乗り切ります。

当時の彼らの想いは想像する事しかできませんが、
『なぜ浅井は織田につかなかったのか』『なぜ織田は朝倉を攻めたのか』
この点は花朧の展開でもとても重要な鍵を握っています!

そんな姉川の戦いが起きた場所、浅井氏が拠点を置いた場所には
現在も浅井氏の歴史を伝える様々な資料館や
その土地の歴史を伝える看板、史跡が残されています。

せっかくなら彼らの戦いの舞台を見てみたい!!ということで、
先日お休みを利用してふらりと滋賀県まで行ってきました!

目指すは長政の城・小谷城!
小谷城は、小谷城の戦いで浅井氏が滅亡した後も
しばらく秀吉らによって使われていましたが、
長浜に城を移す際に【破城(はじょう)されてしまい、お城は残っていません。
小谷山ではこの破城のあとがいたる所で見ることが出来ます。

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▲破城のあと

小谷城跡に行くにはまず最寄駅【河毛駅】を利用します。
駅に降りると浅井長政とお市の方の銅像を見ることが出来ます。

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小谷城跡のある『小谷山』の麓には
「清水谷(しみずだに)と呼ばれる場所があります。

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小谷城は小谷山に建てられた堅固な山城で
日頃家臣や浅井家の方々はこの清水谷に居を構え
生活をしていた......そうなのです。

現在の清水谷には
浅井亮政・久政・長政の浅井三代に渡る歴史を伝える
『小谷城戦国歴史資料館』があります!
長政や市、その子供達の名前が記された旗に
歴史好きの血がざわざわと沸き立ちました......!

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そしていよいよ、小谷山です。

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小谷山に登ると、数々の『曲輪(くるわ)と呼ばれる場所が
見えてきます。

小谷山の一番上『大獄(おおずく)城跡』までは495m。
山の地形に沿って建てられた山城は数々の曲輪によって、
攻めにくい堅固な城を構築していきます。

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▲番所跡
ここは、城郭主要部への入り口。
訪問者が怪しい人物ではないかしっかりと確認がされ
もし、何か怪しい素振りを見せれば一段上にある曲輪から
隠れていた兵が攻撃できるよう、警護にあたっていたようです。

花朧でもこの曲輪が登場し、巧みにこの曲輪を使い
下から攻めてくる敵を迎え討つ場面がありますよ。

また、曲輪だけではなく土嚢が築かれ、
兵が隠れる場所も用意されている場所もありました。
こういった様々な仕掛けが『攻めにくく守りやすい城』であることを
裏付けているポイントですね!

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登っていくと見えてきたのは『大依(おおより)山』です。
この大依山に、姉川の戦いでは浅井軍が陣を置いています。

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▲大依山(奥)
大依山が見える場所から少し戻ると、
大依山とは違う方向に『虎御前山(とらごぜんやま)』が見えます。

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▲虎御前山
信長はここに小谷城攻略の前線基地として陣を敷きました。

写真の奥に広がるのは、『琵琶湖』です。
そう、本日公開されたイベントグラフィックでも触れていました
「淡海(おうみ)」のことです!

イベントグラフィックをぺたり♪

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長政にとっては見慣れた湖でも、
尾張国から出た事のない市にはとても珍しく、
好奇心が煽られるもの。

長政はあまり女子の扱いに慣れていないため、
姫である市がこんなにも近くで、しかも手まで握って
嬉しそうに話を聞いてくる様子に完全に固まっていますね......!

ちなみに、この後長政は赤面します......。笑
がんばれ長政!

そして話を小谷城跡に戻しまして、こちら......

小谷山を登り始めてしばらく。
見えてきたのはここ『赤尾屋敷跡』。

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歴史好きの方はピンと来ると思います。
ここは小谷城の戦いに敗れた浅井長政が
29歳で自刃した場所......。

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小谷城の戦いでは京極丸と呼ばれる場所にいた長政の父・久政が
攻めてきた秀吉によって先に討たれます。
この赤尾屋敷は本丸のすぐ下にあり、京極丸は本丸のさらに上です。

浅井軍の劣勢に、前線で戦っていた長政は必死に本丸に戻ろうとしますが、
追い詰める織田軍の勢いに力及ばず、本丸に辿りつくことはなく、
ここで自刃をしたそうです。

この赤尾屋敷。他の家臣の屋敷は麓の清水谷に築かれていましたが
この屋敷は小谷城の中枢に置かれていました。
それだけ赤尾氏が浅井氏にとって重臣だったことが伺えます。

nitiroku_tibi_a1.pngここで突然ですが、制作裏話!! 
花朧の制作立ち上げの際、どの武将を取り上げるのかリストアップした際に
実は赤尾清綱(あかおきよつな)の子
『赤尾清冬(あかおきよふゆ)』も攻略対象の候補でした!

元々、浅井長政とお市の方の物語を作ることは決めていたので、
浅井氏家臣の中でもとても重要な立ち位置にいた
『赤尾清綱』のエピソードにもとても興味があり、
お市の方との年齢差を考え清綱の子・清冬を
候補に入れる......という案もありました......。

そんな赤尾氏のお屋敷跡には、浅井長政自刃の地として
石碑が建てられており、私もそっと手を合わせさせて頂きました。

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▲本丸                 ▲様々な食器の破片が見つかった場所
その赤尾屋敷よりもやや上に行きますと『本丸跡』が見えてきます。
城が壊されていますので、何もない広い空間ですが、
その隅にある井戸があったとされる場所では小谷城から逃げる際に
隠したのでしょうか? 様々な食器の破片が見つかっているそうです。

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▲大広間
この本丸もですが、小谷山には青々とした紅葉(もみじ)が沢山見られます。
秋になると真っ赤に色づきとても綺麗なんだとか......。

花朧でも北近江の紅葉(もみじ)が登場いたします。
『北近江の紅葉はどこよりも早く色づき、美しい』(花朧のシナリオより)
この色づく紅葉の中で、市はあることに挑戦します。
それは、市や織田家にとっても大事な試練です。
長政が色々と手助けをしてくれますが、その試練とは一体......?

さて、この本丸からは先ほどご紹介した赤尾屋敷跡を見ることが出来ます。
小さいですが、細長い石碑が......。
こちらが、浅井長政の自刃の地であることを示した石碑です。

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本丸の後ろには、『大堀切(おおほりきり)と呼ばれるものがあります。

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▲『大堀切』
写真に向って右手が本丸のある側。下からてけてけてけと登ってきた方ですね!
そして、左側が京極丸跡や大獄城跡のある山の上部です。

ご覧のとおり、山の下側である本丸の方が
堀は高くなっています。
と、いうことは!
それだけ多くの土を盛り、堀を築いていたということ!!

これが人の手によるものだと思うと、驚きの言葉しかありません......!

こうして小谷山に登り、町並みを眺めると
「あーこの景色を長政や市が見たのかな」とつい考えてしまいますね。笑

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そして、ここ小谷山から姉川まではとっても距離があります。
軽く6km以上はあるのですが、目算の甘い私は
山に登った後にもかかわらず「行ける!行ける~!」と
軽快に姉川を目指しましたが......本当に、後で後悔しました!!汗
遠い! 遠いぞ!姉川――――!!!!

ただ町のいたる所に、浅井長政の家紋『三つ亀甲(みつきっこう)』が
デザインされており、歩いているだけでとても幸せな気分になれますよ。

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そして最終目的地『姉川』です。

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この川の左手側に大依山や小谷山があり、
この右手側に横山城跡などがあります。
この横山城は、姉川の戦いで秀吉と半兵衛が調略によって
織田軍に寝返らせた城で、元々浅井氏の支城の一つでした。

元は同盟関係にあった浅井氏と織田氏。
政略結婚とはいえ大変仲睦まじい夫婦だったといわれる
長政とお市の方――――。

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そんな彼らのどんな決断が花朧の世界で描かれているのか
ぜひ新しい歴史の解釈として
楽しんで頂けますと嬉しく思っています。

彼らの生きた時代は同じでも、この世を去った時間は全く違います。
例えば、武田信玄。史実上では、攻略対象五人の中で一番早く
この世を去ることになります。

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逆に、柴田勝家は賤ヶ岳(しずがだけ)の戦いまで生きていますから、
年数で言うと約十年近く信玄と差が出ています。

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どんな未来になろうとも、彼らの選択を隣で助けてあげてください。
『生きた証』『想い』『強さと弱さ』
全てをかけて戦う武将達の『生き様と愛』をぜひ花朧にてご覧ください。

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いかがだったでしょうか?『日録第四話~姉川の戦い~』
もし良ければ、今回巡りました滋賀県長浜市にも
足を運んでみてくださいませ。
浅井氏の歴史を知ることができるので、とてもオススメです!

そして姉川の起きた28日の前日!
あの有名な会議がされていますね!(年号は違います)

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天正十年(1582年)6月27日『清州会議』
信長が明智光秀に討たれ、その光秀を秀吉が討ち開かれた会議。
当時筆頭家老であった柴田勝家は、この会議をきっかけに
秀吉と立場が逆転してしまいます......。

そして、その会議にも関係のある人物がこの子......
先日お披露目になりました『滝川アラン(演者:柿原徹也)』!

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お気づきの方もいらっしゃると思いますので、ちらっとだけ
彼の話をしますと......彼のモデルは『滝川一益』です。

はい!ということで
アランのこともこれからよろしくお願いします!

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日録では、皆様のお便りを募集中です!
花朧について聞きたいこと、武将の性格や好きなものなど!
頂いたお便りにもなるべく応えていきますので、
お便りをお待ちしております。

▼下記の画像をクリック、メールフォームに飛びます。

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 書かれていなかった場合は、すべて「匿名希望」とさせていただきます。
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それでは、本日の日録はこれまで!
順番で言うと今回の最後のお言葉は勝家の登場なのですが、
今日は特別版と致しまして、この方々にお願いしようと思います!!

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浅井長政
「それがし達は、いずれ思いも進む道もすれ違ってしまうかもしれない。
けれど、決して忘れないで欲しい」

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武田信玄
「幾度となく刃を交えようと、交わした杯に嘘はない。
た、互いの生きた証を否定はしない」

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柴田勝家
「誰もが血で血を洗う戦乱の世。力の弱い奴は、淘汰される時代。
けど、俺様は生きようと抗う奴らを嫌いにはなれねーよ。
無様だろうが、汚かろうが、死に急ぐよかよっぽどいい」

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織田信長
「所詮、弱いものは強いものの礎になるべく生まれた、非力な存在。
違うというのなら力で証明してみせろ。そして、俺を納得させてみろ」

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竹中半兵衛
「主君の為とか、大切な者の為とか口では幾らでも言えます。
あなたは口から出た己の言葉を裏切らないと言えますか」


浅井長政「それがしはそなたと」
武田信玄「わしはそなたと」
柴田勝家「俺様はお前と」
織田信長「俺は愛しいお前と」
竹中半兵衛「僕はあなたと」

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