オトメイトスタッフブログ

【天涯ニ舞ウ、粋ナ花】ブログ◆第二十回

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皆様ご無沙汰しております。イチカラム高木です。
オトメイトパーティー2018が近づいてきましたね!
グッズのお知らせなど賑やかになってくると
もうじきなんだなと実感します。

さて......
今回は個人的にですが長文ブログとなりました。
よもやま話のコーナーは
お時間ある時にでもお楽しみ頂けますと幸いです!

※現在攻略中の方、これからプレイするご予定の方は
ネタバレを含みますのでご注意下さい!



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蓮太郎編:仙の舌

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ゲーム舞台からさかのぼること十年ほど前――
ある夏の日、丹道斎が三番目の妻との間に出来た子を連れ
海岸に出向いたことがありました。

丹道斎は、時間があれば食べ歩きの旅をよくしていましたので
この時は海の幸でも食べに行っていたのかもしれません。
しかし子供嫌いの丹道斎が、何故息子を連れて
帝都を離れた海岸まで出掛けていたのでしょうか?

丹道斎には三人の子供がいました。
一人目の息子は最初の妻、二人目も息子で二番目の妻との間に。
妻側の実家から離縁を言い渡されている身ですので
二人の息子はそれぞれの妻の実家に引き取られています。
以来息子達とは会ってはおらず、何をしているのかも知りません。
彼は子供が苦手でしたから
知ろうとしませんし興味もありませんでした。

なのに何故、蓮太郎だけ引き取り育てることになったのか?
蓮太郎を連れてこの海岸まで何をにしに来ていたのでしょうか......?

 「その代わり"仙の舌"をふういんしたことは許してあげる」

このシーンの蓮太郎の台詞です。
仙の舌とは料理を食べただけで材料、調味料がどれだけ使われているのかを
言い当てることが出来る特技のようなものです。
例えば、カレーを食べてスパイスの種類、食材と
使った分量を言い当ててしまう......
料理人にとっては羨ましい特技、能力。
昔から噂されていた特技ですが昔話や伝承レベルになっていました。

それを生まれ持った蓮太郎自身、ずっと気付いていませんでした。

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丹道斎の三番目の妻・矢代サチとは、彼が古美術商をしていた時に結婚しました。
矢代家は江戸から代々伝わる、同じく古美術商を営む由緒ある家柄。
身分違いの結婚ではありましたが、
サチの父親が丹道斎を見込んで娘を嫁にやります。
丹道斎が36歳、サチは19歳の時のことです。

丹道斎とウメや幸介、主人公の父達との出会いがあった頃は、
彼は画家、書道家として活動しており、
当時少しは帝都で名の知れた芸術家でした。
この頃はまだ料理の世界には目覚めていなかったのです。

話を36歳の頃に戻しまして......
彼は古美術店を営んでいましたが、料理人としても活躍していました。
店内に小さなイートインスペースを設けて
そこでお茶やお菓子、料理などを出していたんです。
元は自分で見立てた茶碗、作った陶器などのセールスの一環として始めた料理が
どんどん深みにはまっていき、自分で作るだけでは飽き足らず、
究極の料理、環境や材料、スタッフなどを求め始めます。
気付けば古美術店の枠を越え割烹店を構えるまでに至ります。
それが美食家の始まりとなったのです。

丹道斎の割烹店は非常に評判が良く、
遠方からわざわざ足を運ぶ客も少なくありませんでした。
名だたる名士達も評判を聞きつけ、
丹道斎の料理に舌鼓を打つことになります。

さて丹道斎の家庭料理はどうだったのでしょうか?
実は、彼は家庭では絶対に台所に立たないことにしていました。
料理は店でしかしない、という拘りがあったのでしょうね。
彼の作った料理は家庭で食べるものではなく
客に食べさせるものだと決めていたのだと思います。

料理は全てプロの料理人が作り、それを家庭に運ばせていました。
蓮太郎の母、サチが料理したことは一度もなく
また丹道斎も妻が料理することを許さなかったのです。
理由は家庭料理を否定していたのか、料理と認めていなかったのか......

ということは、蓮太郎は幼少の頃からずっと
プロの料理人の味しか知らない、ということになりますね。
この辺りの事情は少し、弥島家と似ているのかもしれません。

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蓮太郎が四歳ぐらいの時でしょうか。まだ両親の離縁前です。
この日は珍しく、自宅に丹道斎がいました。
そしていつものように、
古美術店の板場からプロが作った料理が運ばれて来ます。

たまには一緒に食べてやるか、とばかりに丹道斎と蓮太郎、
そして妻の三人が食卓を囲みます。
その時、蓮太郎が「醤油が小匙一杯ほど足りない」とか
「塩は下味には必要ない」とか......
そんなようなことを食べながらぶつぶつと言い出しました。
父は当然「プロが作った料理に何て言い草だ!」という感じで激怒。
しかし蓮太郎は自分の言ったことは正しいのに
何故怒られるのか理解出来ないと発言し、
丹道斎からさらに怒りを買うことになります。

そんなことが何度か続きました。

或る日、三番目の妻の実家から離縁の話が持ち上がります。
娘を粗末に扱っていることや金遣いが荒いこと、
家には殆ど帰らない......等々、耳が痛い内容を突きつけられます。
丹道斎本人は素行を正すつもりはありませんでしたので
はいはい、またか......という感じだったのでしょうね。
(だったら何で結婚して子供を作るんだ......という話になりますが
それはまた別の機会に)

同じ頃丹道斎の元に『月観茶寮』で顧問をしてくれないかという
依頼が舞い込みます。
帝都の政治の中心地で料理人として、
また美食家として腕を振るう好機が来ようとしていました。
無論彼がそんなビッグチャンスを逃すはずがありません。
きっと渋々ながらもよっしゃという感じで引き受けたのだと思います。

広大な敷地、内装やスタッフ集めなど非常に多忙を極めていました。
古美術店内の料理も『月観茶寮』に向けた
趣向をこらした大変珍しくも美味しい料理を出し始めます。

ところが、「昔の食事の方が美味しかったな」というような
ちょっと微妙な意見がちらほら耳に入るようになりました。

板場スタッフは薄々気付いていても丹道斎に口出しする者はいません。
そしてあの性格ですから、微妙な意見なんて彼は気にしませんでしたが
少しずつ、少しずつ、その微妙な声が雑音のようになり、
美食家で傲慢な彼の頭を支配するまでに至ります。

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サチとの離縁話が確実になってきた頃です。
この頃既に母の姿は自宅にはなく、実家に戻っている設定です。
それ以前からも蓮太郎は女中さん達に育てられていたようなものでした。

母に育てられた記憶も料理の記憶もありません。
母という存在はあっても、
蓮太郎の中では母親がどんなものか分からない、そんな状態だったのです。

母が実家に帰れば自宅まで料理を運ぶ必要はないため
丹道斎は古美術店の店内で息子に食べさせていました。

ある時静かに黙って食べる息子に父が訊ねます。「旨いか?」と。
すると息子は、「一般的には旨いが店で出せるレベルじゃない」、
というようなことを言い放ちます。
いつもなら怒る丹道斎ですがこの日は続けて訊ねます。
「何を使っているか当ててみろ」。
そして見事蓮太郎はレシピの内容を言い当てます。
問題点まで列挙する息子の姿を見て、
もしかしたら"仙の舌"を持っているんじゃ......と疑い始めます。

やがて丹道斎のなかで確信に変わった頃には
蓮太郎が自慢のひとつになっていました。
蓮太郎は、父に気に入られようと
食べた料理のレシピを客達の前で言い当てます。
客達はどよめき、父は「仙の舌をもっている息子だ」と自慢しました。

その父の姿を蓮太郎は見るのが好きでした。

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丹道斎とサチの離縁が決まり母方の実家に引き取られる日。
蓮太郎はこの頃から優秀で大人しく礼儀正しかった為
母の実家に引き取られることで話がまとまっていました。

丹道斎はいつもの事なので反対もしませんでした。
しかし、仙の舌のことを思い出します。
そして客達の"雑音"......

相手は四歳の子供、利用しない手はない、
そう考えた丹道斎は息子を引き取り自分が育てると言い放ちます。
もちろん母方の実家ともめたのは言うまでもありません。

蓮太郎には何のことか分かっていませんでした。
どうして両親がもめているのか。
しかし幼い蓮太郎の中に、ひとつだけ確固たる気持ちがありました。
「母より父といる方がおもしろい」。
最終的に丹道斎が引き取ることで決着を見ます。

母との別れの日。
この時ばかりはサチは涙を流し、蓮太郎に別れを告げます。
会いたくなったらいつでも実家に来るようにと手を添えました。
これを母だと思って、そう手渡された骨董品のペンダント。
大きなペンダントトップがついています。
蓮太郎はそれを受け取ると
「心配しないで。二度と会わないから」と言いました。

都合のいい時だけ母親面しないで欲しい、という思いで
この台詞を言ったのではなく
恐らく本心から言ったのだと思います。
随分捻じ曲がっている"本心"ですよね。
にっこり笑顔を母に向けると、さっさと家に入っていきました。

そして言葉通りそれ以来二度と会うことはありませんでした。

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さて、蓮太郎が五歳になり『月観茶寮』がいよいよオープンします。
丹道斎の発案で会員制料亭にしたことで客のグレードはアップ。
政治家、芸能人など著名な人達で賑わい繁盛していきます。

味覚の衰えを感じ始めていた丹道斎でしたが
蓮太郎を上手く利用することで難なく切り抜けていました。
まず考案したレシピに沿って調理して蓮太郎に感想を言わせます。
助言も言わせていたのでその通りに調整し完成......
いつしかレシピそのものも蓮太郎が作っていくことになります。

しかし息子を利用していると世間に知られては立場がありません。
丹道斎はきつく息子に言いました。
「ここにいたいなら仙の舌の話は人前でするな」
これが冒頭の台詞、「封印」という言葉に繋がっていくのです。

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『月観茶寮』の新しい料理の材料調達のために、
とある海辺に来ていた丹道斎。
隣には当然のように息子を連れています。
仲睦まじい親子の姿だと彼らを見た人なら言うでしょうね。

この頃から丹道斎と蓮太郎の上下関係とも言える部分が
微妙に食い違いを見せ始めていました。

五歳の蓮太郎が自分の特技を内緒にする代わり、
父におねだりしたものは......

「......でも、いいや。あれをもらえるなら。
約束だよ。これはけいやくだから」

恭介編:『月観茶寮』

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さて話は変わりまして、
今月26日、日曜日は恭介の誕生日ですので
恭介にスポットをあててみたいと思います。
以前ブログで幼少時から料理人になるまでを書きましたので
今回は『月観茶寮』との出会いあたりを。

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料理人を目指すと決めたのはいいが、何処で働くのかが問題でした。
彼の周囲の人達は『弥島』で働くと思っていましたし、
父親・幸太もそう思っていました。
しかしウメだけは料理人になること自体に反対していたのです。

この時恭介には料理人になるという固い決心こそあれど
働き口については迷いがありました。

働くなら自分の家の店になるだろうな、
板長にはよくして貰ったし、板長の下で働くのは当然だろう、
でも......

兄達三人はいわばエリートコースを邁進中。
長男の幸介は自分のしたいことをするという点においては
恭介と同じだったかもしれません。
恭介が小学校を卒業する頃はちょうど大学四年生で
ホテルの就職が確定していた頃でした。

ウメは店を継ぐ気がない長男に対し苛立ちもあったでしょうが
四男の進路に反対する気持ちとは異なります。
彼女は、料理人なんて男がする仕事じゃないと考えていたので
『弥島』の息子にさせるわけにはいかなかったのです。
世間の目もあったでしょうしプライドもあったでしょう。
何より苦労することが目に見えている道に
息子を投じるわけにはいかない、という親心もあったと思います。

しかし恭介は料理人の道を諦めきれません。
働き口について兄弟に相談したくてもなかなか相談出来る雰囲気でもないし
まともに聞いてくれそうもない......
結局誰にも相談出来ずに宙ぶらりんな気持ちのまま過ごしていました。

『弥島』で働くことが出来れば楽でしょう。
ですが彼自身楽な道を望んでいませんでした。
兄達と肩を並べるにはこの先どうしたらいいのか、
それには楽な道じゃだめだ、そんな風に考えていたのかもしれませんね。

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この頃、丹道斎が『月観茶寮』の顧問を引き受け、
オープンに向け慌ただしくしていました。

この界隈の割烹関係者達の間で『月観茶寮』を知らない人はいません。
オープン前なのにそれほど有名になっていました。
当時の様子を現代に例えて分かりやすく言うと......

上にも書きましたが、
丹道斎は骨董品屋の店内に和風レストランを構えている程度でした。
これだけですとこじんまりした雰囲気ですよね。
でも客は芸能人や政治家、有名人が多い予約必須の高級レストランで
数ヶ月先まで予約が一杯の状態です。
しかもグルメサイトには掲載されず、
ネットには店内の写真や料理の写真が一切出てきません。
分かっているのは店名と「知る人ぞ知る名店」「美食家丹道斎の店」だけ。

テレビや雑誌取材はNG、客が写真を撮ることもNGです。
一見さんお断りで知人の紹介しか予約が取れません(あくまで例えですよ)。
しかし行った人の話では「行けば食の世界が変わる」など大絶賛......
このレストランが赤坂花街にオープンするというのですから
噂になるのも仕方のないことでした。

恭介も当然『月観茶寮』オープンの噂は知っていました。
どんなに凄い店だろうと思い、門の前まで行っても中の様子は分かりません。
その時門に貼られた一枚のチラシが目に留まります。

【スタッフ募集中!
ホール担当や厨房担当など未経験者もOK!
詳しくは事務室まで!】

......現代風だとこんな感じでしょうか?
これだ!と恭介はすぐに問い合わせをします。

書類審査と面接があった後、これで働けると思っていた恭介は
自分の認識の甘さを実感することになります。
希望者がもの凄く多く、しかも経験者ばかりだったのです。
彼は下っ端の料理サポート、料理小僧を希望していましたが
それでも倍率は相当なものでした。

事後報告となりますが、ここでやっとウメと幸太に報告することになります。
当然、何故受ける前に相談しなかったんだ!と叱られます。
彼らも『月観茶寮』の人気ぶり(従業員の競争率)は既に知っていましたので
未経験の、しかも小学校出の恭介が受かるわけがないと
思っていたのだと思います。
意味のないことは止めろとでも言われたのかもしれません。

しかし恭介だって譲りません。
合格したら働くことを認めてくれるかと両親に詰め寄ります。
幸太は元々料理人の夢を応援していたのでそれならと許可しますが
ウメはまだ反対していました。
料理人を目指すことだけでも反対していたのに
勤め先は『弥島』とは別の店、それも近い距離の店舗です。
しかも、よりにもよってあの丹道斎が顧問を務める店......
認めるわけにはいきませんでした。
そして、合格したら認める、と両親との約束を何とか取り付けます。

結果恭介は『月観茶寮』に合格したのですが、
(恭介が料理小僧として採用された理由は色々と憶測出来るでしょうが......)
プロの腕利き料理人が沢山落選するほどの競争率でした。
恭介の素性は『月観茶寮』スタッフ内全てが知るところとなり
周りが何かあると思うのも仕方のなかったことかもしれません。
スパイだとか道楽で働いているとか......
そんな嫌味を言われてのスタートでした。

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ある日。仕事を終えて厨房の片付けをしている時です。
この日も深夜近くなり体力的にも精神的にも疲れが見え始めていました。
歳は15か16歳ぐらいでしょうか。

はぁ、と裏口から出た所に腰掛けて夜空を見上げ溜息を吐く恭介。
そこに丹道斎の息子、蓮太郎がやってきて恭介に声をかけました。
最初彼は丹道斎の息子とは知りませんでした。
蓮太郎は父と共に板場スタッフの前で顔を見せることはありましたが
下っ端の者達が蓮太郎の顔を見ることはありません。
それどころか丹道斎と顔を合わせることもなかったでしょう。
それぐらい距離があったのです。

――たぶん蓮太郎は恭介のことを知っていたのだと思います。
しかし恭介は客の連れて来た子供か敷地内に紛れ込んだ子供ぐらいにしか思わず
こんなところにまで来るな!と追い返します。
ですが蓮太郎は帰らず、そればかりか料理の話をし始めました。
見た感じ小学生の子供が何を偉そうに......そう思っていたのですが、
疲れもあり恭介は仕方なく聞いてやることにしました。

そんなことが何度かあり(良く来る客の子供ぐらいに思っていた)、
二人は少しずつ親睦を深めていきます。
そしてある日、蓮太郎が実は丹道斎の息子と知り......
よくあるパターンですが、恭介は知った時はびっくりしたでしょうね。
会った時言ってくれたらいいのに!と私でも言ったと思います。

恭介の仕事ぶりを蓮太郎は幼い頃から見ていました。
二人でいる時はラフな話し方で仕事以外のことも色々と話しました。
蓮太郎は恭介の実力を見抜いた最初の人だったのかもしれませんね。

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また長くなってしまいましたが......
そろそろ切り上げて次に参りたいと思います!

弥島家兄弟編:五年前

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ではゲーム舞台より少し時を巻き戻って......
五年前ぐらいの兄弟たちをみてみることにしましょう。

長男・幸介(25)......ホテル勤務時代
父はまだ現役店主です。幸介のしたいことは伝えていますが
いつかは店を継がなければならないんだろうな、と何処か諦めている気持ちもあり
仕事が楽しくなっている頃だけに毎日複雑な気持ちでした。

次男・裕介(23)......調和会時代
当時発足されてまだ間もなかった調和会という、
労働者や世間の動き、社会運動などにスポットをあてた
研究機関で働き始めた頃でした。
仕事にやり甲斐を感じつつも卒業してからぶらついていた
親友・次郎の身を案じていた頃でもありました。
(翌年次郎はアメリカへと旅立ちます)

長女・りん子(20)......結婚時代
女学校時代に縁談があり卒業して間もなく結婚します。
女性はそういうものだと思っていたので
結婚そのものに反対することはありませんでしたが
縁談の時は相手の身分について色々と意見していたようです。

三男・惣介(18)......高等学校時代
三年生だった惣介は天文学者を目指し帝大進学を決めていた頃です。
元凶(りん子)が自宅にいないこの時代、
惣介にとって自宅はパラダイスに近い状態でした。
昼に出歩くことが多くなったり。

四男・恭介(16)......『月観茶寮』修行時代
勤め始めてまだ五年目、道は長いなぁなんて思っていました。
同世代の人達が輝いていて楽しそうに見えていたのかも。
蓮太郎と出会い仕事の後の話し相手が出来たことで
少しずつ変わり始めた頃です。

次女・きく子(13)......女学校時代
ゲーム舞台では師範学校で、その前は女学校に通っていました。
女子中学みたいな感じですね。
ぐいぐい引く人(りん子)がいない為か
おどおどして大人しい子がさらに輪を掛けて大人しくなっていました。

五男・俊介(12)......中学生時代
中学一年の俊介は今以上にもっと尖っていた頃です。
秋一とはこの頃から親しくしていました。
中学に入ると外出が多くなり、買い物に行ったりぶらり旅をしたり。
そして引き出しから小瓶を取りだして眺め、
昔を思い出していたのだと思います。



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※お名前の掲載の可否を明記いただけますようお願い申し上げます。書かれていなかった場合は、すべて「匿名希望」とさせて頂きます。
※すべてのメールをご紹介させて頂くことはできません。ご了承くださいませ。

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今回はかなり長文になった「よもやま話」でしたが如何でしたでしょうか?
数日にわけて書きましたがここまで長くなるとは......!
特に蓮太郎については殆どコメントしていませんでしたので
これを機会に楽しんで頂けたらと思います!

間もなくオトメイトパーティ~!
私も観に行く予定ですので楽しみにしております!
また機会があれば更新しますのでよろしくお願いします!

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